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わたしのブログ

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続きです。

そこに・・・・古兵殿・・・と来た者がある。見ると星一つの初年兵で、大阪弁の30歳くらいの男で「用がありましたら自分に言いつけてください。」と言い「帰ります。」と敬礼をして出て行った。
 初年兵時代は皆、この様に仕付けられている。私はくすぐったい気持ちだった。同じ患者でありながら・・・私も痔で入院した昭和18年を思い出した。
 その時、私も星ひとつだった。今度は星二つで入院できてよかったと考えていると、松村中尉との間に何があったのか?色々と思い出されてきた。
 痔という手術を受けた病院は良良屯496部隊で、入院まもなく隣のベットにいた伊沢という同じ27師団の機関銃の一等兵で、茅ヶ崎の豆腐屋の息子と言う親切な人が、軍隊のことを色々教えてくれた。
 「初年兵時代は死ぬような目にあったので、同年兵や、下士官なんて信用できない。」と話した。片山さん「軍隊と言う所はどうせ知り合うなら、中隊長以上の将校と知り合わなければ駄目だよ。それには、何か変わった事をして名前を覚えてもらうようにする。これが一番だょ。」「軍曹、曹長、少尉、なんてまだまだ駄目だ。中尉以上だよ。」と教えてくれた。そこで松村中尉が私の中隊長であることに気が付いた。
 こんな事を思い出しているうちに2週間ぐらい経ったのだろう。相変わらず夕方になると足元が見えない。便所に行くときは看護婦と行かなければ危ない。
 もう7月になっていたようだ。看護婦に「ずいぶん弱ったものね。血沈が70ミリ以上だったようよ。一人では歩いていけませんよ。」と釘を刺された。
 ある日、軍医が来て「ここにはレントゲンが無いから、来週上海に護送する。上海でお前の病気を診断することになった。」と言われた。もう観音様にお別れの日が近づいた。
 看護婦が私の印鑑を持っていった。まもなく「棒給ですよ。」と差し出した。細長いお札儲備券といって当地のお金だそうで幾らかは覚えが無い。
 酒保で飴がきたとのこと、運動がてらに一人で行ってみた。初年兵の行列で目のあったものは皆わたしに敬礼をした。一等兵や上等兵は皆初年兵に買いにいかせているのだろう。わたしは列の前に行った。その時、看護婦が私を見つけて「片山さん、一人で歩いちゃいけないといったでしょう。軍医殿に言いつけますよ。」とわたしのわきの下に手を入れてスイーと軽々病室につれていかれた。大勢の前で決まりが悪かった。だがもそれだけ元気になった。
 もう五分がゆではなく普通飯で足もしっかりしてきた。まもなく護送の日が来た。いまだ護送患者なので看護婦つきで揚子江の桟橋までつれてきてくれた。観音様といよいよお別れだ。色々お世話になりました。


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